青山霊園のまめ知識 | 心霊
青山霊園の墓所には、家でいう番地みたいな番号がふられています。例えば、「1種イ1号1~10側12番」というものですが、これは、黒田清隆の墓です。黒田清隆は、薩摩藩鹿児島城下士として、幕末に薩長同盟のために奔走し、戊辰戦争の際には北越から庄内までの北陸戦線と箱館戦争で参謀として指揮をとった人物です。また、管理事務所に行くと青山霊園案内図が手に入りますが、そこで見学したい人の名前を尋ねますと番号を教えてもらえます。
青山霊園は、心霊スポットとしても有名ですね。都内一等地の交通量が多い道路に囲まれた霊園なのですが、あるタクシーが若い女性を青山霊園まで運んで行きましたら、着いた頃には女性の姿が消えていて後部座席が濡れていた、という話はあまりにも有名です。青山霊園は、開設以来130年あまり、首都東京の都心に位置する霊園として広く利用されていますが、開設当初から青山霊園を知る樹木などの豊富な自然資源が存在しています。
また、東京をはじめ日本の近代史に名を残す著名人の墓所もたくさんあるなど、歴史的な人文資源につきましても他に類のないほどの蓄積が見られます。青山霊園の再生について、これらの歴史的遺産を十分に活用して、東京の先人を記念し尊重しながら、過去、現在、そして未来へと続く時間的空間を考慮し、また都民の心のよりどこになるような空間として生まれ変わることが期待されています。
発展を続ける都心部に広大な墓地がありますから、明治44年(1911)には青山霊園に移転問題が浮上してきました。そこで、従来のイメージを払拭して散歩気分で墓参りのできる公園墓地の構想が打ち出されました。青山霊園は、公園化整備が進められて、昭和10年(1935年)に現在の形の青山霊園になっています。青山霊園は、明治7年の開設後、130年の歴史に培われた自然資源は豊富で、巨樹も多く植生しています。特に桜並木につきましては、都内の名所として広く知られているところです。
ご注意ください
- 当サイト[青山霊園のまめ知識]内に掲載されている文章・画像等の著作権は、サイト運営者に帰属しています。
- 文章や画像等の無断転載、複製・配布等は固くお断りいたします。
- このサイトに記載されている内容もしくは当サイトからのリンク先で発生した賠償・苦情・損害等のトラブルについては、何ら責任を負いませんのでご了承ください。