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青山霊園のまめ知識 | 青山霊園

青山霊園は、1872年(明治5年)、美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主だった青山家の下屋敷跡に開設されました。当初は神葬祭墓地だったのですが、1874年(明治7年)9月1日、市民のための公共墓地へと変わりまいた。1889年(明治22年)、東京府から東京市に移管されています。そして、1926年(大正15年)、斎場の建物のすべてが東京市に寄贈され、日本で最初の公営墓地となっています。

明治44年、東京市議会は、青山墓地の移転の意見を提出しました。。周辺の都市化が進んだことから、多磨墓地などの公園墓地の整備を進めていた東京市は、公園墓地を図り整備を行うことになりました。昭和10年に他の東京市営墓地とともに名称を霊園に改変しました。昭和32年には霊園を廃して公園とすることが計画案が出され、新規貸付の停止や無縁墳墓整理などを推し進め、公園事業に備えましたが、40年以上を経過しても実現は大変困難な状況となっていました。

青山霊園に眠る主な著名人として、明治維新の元勲・大久保利通、ワンマン宰相として知られる吉田茂、作家の志賀直哉、歌人の斉藤茂吉、血清療法を開発した北里研究所の創設者である北里柴三郎などが挙げられます。その他にも、各界のそうそうたる偉人が眠っています。青山園内は12万人以上が埋葬されている広大な敷地ですからめ、サービスとして霊園管理事務所では著名人の墓所が記された案内パンフレットも配布されています。青山霊園に訪れた際には、是非利用したいものです。

都営霊園の一つ青山霊園には、立体埋蔵施設という一般埋蔵施設と合葬埋蔵施設のメリットを併せ持った新しいタイプの墓所が用意されています。この立体埋蔵施設の特徴と言いますと、合葬収蔵施設とは違って遺骨と向かい合って焼香、献花などの墓参りができるようになっています。また、個別となっているにもかかわらず、親族によるお墓の管理が必要ありませんし、一般墓所と比べますと使用料が安価になっているというメリットがあります。






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